天女を娶る~海乱鬼焼船の章~114

天女を娶る~海乱鬼焼船の章~114







怪我を負ったビョンハは、布による圧迫止血と、鍼による止血を同時に施され、流れ出る出血量は随分減っていた。

だが、患部の刀創自体が塞がった訳では無かったから、この出血量が少ないこの時に縫わねばならなかった

其処からは…この女(ひと)の独壇場だった。

その場に居た高官達は、お喋りをする余裕もない様に口を閉ざし、その女(ひと)の手元に注目し、その器具を使った処置に目を奪われる
鮮やかな手付きで行われるその処置に、文句を付ける暇など無く…ただ、その処置を食い入るように見入っていた

王様も、刀創の処置を間近で見るのはこれが初めてで…その目はその手先を食い入るように見ていらっしゃった。

王妃様の処置の時は、同じ部屋に居たものの…遠く離れ、俺やチャン侍医の背中が王様の目を塞ぎ恐らくその術を見る事は無かっただろうと思われる
それからも、王様の御前で怪我の処置に当たる事等無かったから…

その場は、気持ちが悪い位に静かで…無音だった。
聞こえるのは風の音、木々の葉擦れの音、鳥の声…そう言った音のみで。

口元に当て布をして妻はビョンハの患部を縫って行く

ドイルの腕もなかなかで、その刀創はそれ程深くなく、それでいて浅過ぎもせず…

妻が縫う事になったのは刀が皮膚に触れ始めた部分からではなく、剣先が盛り上がった筋肉の一番迫り出した部分のみを少し深く切っただけのようで…
ほんの六針ほどで済んだ。

そして侍医として、見事な腕の披露は確かに成功したが…王様の隣で感じる高官達の気配の変化に少し、焦る

今迄、女の侍医と言って裏で蔑み、俺の力による侍医への抜擢だと思われていたその腕が本当は確かで、そして…医仙の再来と言っても過言では無い程の腕であった事を目の当たりにした高官達の目が全く違った色を灯し出したのだ。

己の為に、己の駒にしたいと言う…欲求。
その女医の腕を自分の配下に置けば、自分の立場は安泰であると言う思いがその場に広がり始める

後ろ盾が殆どないこの女(ひと)にとって、その腕は…この皇宮で一人立つ為には最大の武器であり、最大の強みでもある
人を所有するこの国では…当然、その腕を『所有』したいと思う訳で…

妻が、最後の糸を切る作業に入った頃には…高官達の品定めの視線があの女(ひと)に向けられている事に気付く。
元より…考えの内だ、これも。
此処で、俺が騒げば今此処までの茶番は全て水の泡となってしまう

妻が『自分の身内が自分を守る為に怪我を負う』事を嫌がりながらも、我慢してその怪我を治しているその作業が何の意味も為さなくなってしまう…

それでも、本当なら…妻は俺の物だと宣言したい衝動に駆られる。

あんな目に晒される位なら…奴らの目から隠す為にも…
他の医員や侍医が出来る事が出来るだけなら…恐らく、あっという間に侍医は高官共の手によって他の男の侍医に変えられてしまう

だが、この目をまずは乗り越えねば…侍医、ユ・ウンスはこの高麗には不要の者になる

故に、この目に晒す事を甘んじて受け…堪えねばならん
あの女(ひと)は今、処置をする事に集中していて周りの雰囲気の変化に気が付いてはいない

それだけが、唯一の救いだ。

チュンソクの眉も眉間により、周りの雰囲気の変化に顔を顰めている
その位、…その場の高官達の侍医の手元を見る目は変わった。

最後の糸が切られ、ビョンハの傷に白い当て布を当て、その上から包帯で巻き…処置は終了した。
王様は満足げに微笑み、高官達はどうやって侍医ユ・ウンスを自分の元へ引き入れるのかと算段を始めた

この物欲に塗れた高官の中に蝙蝠も居て…やはり、この女(ひと)を狙う
益々、蝙蝠の気配を探るのが難しくなる…
今や…あの女(ひと)の側に居る高官達が、侍医ユ・ウンスを狙っている。

各々、自分の腹に一つも二つも思いを持って居る者達だ…

今や蝙蝠と同じ様な思いしか抱いていない様に見える

処置が終わった妻は残りの処置を他の医員達に任せ、王様の方へ向く

「王様、処置はこれで終わりで御座います。
王様がお持ちの、此方の器具を使った処置の初歩で御座います…お目汚しになっていなければ良いのですが…」
そう言って妻は王様へ恭しく頭を下げる

王様も、
「見事な手捌き、しかと見せて貰った。
この処置は初歩と言う事だが…他にはどのような事が出来る?」

王様はその様に問、妻も答える

「この器具で出来る事は、傷を縫う事、血管…血脈を繋げる事…他にもいろいろですが、全て私一人が居れば出来るという訳では御座いません。
典医寺の医員全員で怪我の治療をするのです」

妻はこう答えた

「ほう、典医寺の医員全員でとな?」
王様がそう聞き返すと妻は言う
「はい、私はこの器具を使う為の術を心得ておりますが…今回の様に鍼での止血の術は初心者程度しか持っておりませんし、意識を失くしてからの処置の際、意識を失くさせるための処置の術は私は持っておりませんので…」

妻はそう王様に答える

典医寺の全員で処置を施すと言う事を声高にその場で話す

「間違っても、私一人の力では御座いませんし、以前いらした医仙様の様に…仙術による処置でもございませんから…」
そう言って頭をまた低くする

王様がその事に答えず、妻の方を眺めていると、高官共の方から声が上がる

「いや、しかし素晴らしい術だ。包帯も未だ血に染まる事もなく…正に侍医に相応しいですな。」
そんな声が上がり、妻はその声の方向へ俺から見ても冷めた目を向けた

「女風情の施した施術に其処までの感想を述べて頂きありがとうございます。
それと、私の口が悪いのは癖みたいなもので…申し訳ありませんが、これからも口は悪いままです。
どうします?そんな女、牢に入れておしまいになります?」

妻がそう言うと、声を出した男は口を真一文字に噤み、妻を睨む
妻はその男は放って置いて、また王様の方へ視線を移し言った。

「私は、この高麗に居た時期が少なくて…此方の婦女子の方々の様には話せませんの。どんな人に言われても嫌な物は嫌と言いますし、受けたくないものは絶対にお受けしません。
自分の処置の前に、上も下もと見る余裕もごさいませんので…
どんな高貴な方がいらっしゃっても目の前の処置が終わらない限り抜け駆けは許しません」

妻はそうやって王様に言い切った
それには、王様の方が驚いた顔をなさり…目を皿のように丸くなさった

呆れた事に、妻はこの場で此処に居る高官達に啖呵を切って見せたのだ。

冷めた表情でそう話すその女(ひと)の硬く握ったその手を見ると…小刻みに震えている
下手をすると…どうなるか、分かった上で言っているんだろう

「成程、それが西域の医師の心根と言う事か?」
王様は妻に合わせる様にそう仰った
妻も…

「そうです、王様。
怪我をした人、病気の人に上も下も無いのです。
彼方では、とにかく治療を欲している人へ治療が行き届く様に医師は力を注ぎます。
報酬さえ受け取らない医師だって居ります。
確かに逆に報酬ばかりに目が眩んでいる医師だって山の様に下りますが…
私はそう言う芯の通った医師になりたいと日夜、思っております」

そう答える

「その為には、この侍医と言う立場は…喉から手が出るほど、欲しい立場です。
女風情と言われて、泣いて尻尾撒いて逃げ帰る訳には行かないんです
ですから…何を言われても、この戴いた地位から退く事なんて致しませんわ」

やれやれ…我妻は何とも、喧嘩っ早く…

今まで、その侍医を手に入れようと頭の中で画策していた高官達が、今度は違う目で妻を見始める
己の欲より、人を治療する…

要するに、金なんかでは懐柔されないと高官共に言って聞かせた様なもので。

侍医を挿げ替えてやろうと思っても、今見た技術を持つ医員は近場に居る筈もなく
それなのに、女の方は金なんぞ要らんときた。

あちらこちらからギリギリと奥歯を噛むような音が聞こえて来そうで…
チュンソクは俯いて噴き出しそうだ。
王様は笑いながら呆れた顔をして妻の方をご覧になって…

「侍医、余は今の所、他に侍医を迎えるつもりはない。安心せよ…
そう、熱り立たずとも良い。
それで、処置は済んだのだな?」

そうお聞きになると妻は頷き答えた

「はい、軽く処置は済みましたが、まだ縫った場所は治った訳では御座いませんので、これからの事を此方の隊員の方と、向こうの席でお話しなければなりません。
もう此方での見世物が終わったのであれば、彼方の医員達の控えの場所へ患者を連れて行きたいのですが…宜しいですか?」

妻がそう言い、王様は「よかろう」と答える

医員達が立ち上がり、道具を片付け始め、ビョンハもテマンに肩を借り歩いて行く。
その者達が全て動き出してから、王様へ頭を下げ妻も控えの場へ歩いて行く

妻のすぐ後ろにはコムが就き歩く

闘技場内から医員達が全て下りた所で、チュンソクが声を上げる

「これより、一時休憩に入る。
休憩の後は、大将戦の前に武閣氏による演武を披露する事となっております」
そうチュンソクが声を張ると、高官共の声がざわりと大きくなる

武閣氏は武芸もさながら、その顔(かんばせ)が美しい者も多い故、高官の選り好む対象になる事がある…
下衆い話…武閣氏の女の品定めをして、今日の夜にでも知り合いの高官共が集まって夢でしか起こらぬ事をあ~でも、こ~でもと猥談をするのだ
要するに…酒の肴と言う訳だ。

王様はまた、控えの間へ歩いて行くが…王妃様があの女(ひと)を心配なさり、中々その場を動こうとしない。
あれだけの目をその身に一身に受け、怒声も浴びて…

王様はその場から動こうとしない王妃様へお声を掛ける

「王妃よ、如何した?具合でも?医員を呼ぶか?」
そう言ってお声をお掛けになる
王妃様はその声に我に返り…
「いえ、少し疲れたようです。控えの間で少し休めば大丈夫ですわ」
そう言って、漸くその場からお離れになる

そうだった…俺やチュンソクだけでは無かった
王妃様も、あの女(ひと)の事になるといつもの王妃様ではいられなくなるお一人であった事に今更、気が付いた。

王様のお言葉に王妃様も咄嗟に機転を利かせて下さった故…大丈夫だとは思うが…

高官達は先程の部屋に動く。
俺は…本当ならすぐにでもあの女(ひと)の側に行きたいが、恐らく先程の場所へ次の文が届いている筈で…今向こうに向かった高官達よりも先にあの場所へ向かわねば…

典医寺の医員達の控えの場所では医員達は各々の仕事を始めており、あの女(ひと)もビョンハに何事かを話しかけている



傍に居たチュモに目で合図すると、チュモが側に来た







ランキングに参加しています
『いいね』の代わりに
ぽちっと押して頂けると本当に嬉しい179.png





PVアクセスランキング にほんブログ村




[PR]
by 2540hnnhk | 2017-08-21 15:10 | 天女を娶る | Comments(0)

「信義~シンイ~」に魅せられてその後のお話を綴っています。イラストも描きたい物を描いています


by のの